日本食には欠かせない食材「こんにゃく」。
いつも何気なく食べていましたが、考えてみれば不思議な食べ物だとは思いませんか?
原料は芋なのに、あのプルプルとした食感と独特の味。
こんにゃくはいつから作られ、どのようにして今のように日常的な食べ物となったのでしょうか。
こんにゃく芋の起源は日本ではなかった?
こんにゃくは和食の食材というイメージが強いので、日本が起源だと思っている人も多いかもしれません。
こんにゃくが使われた外国の料理というのも思い浮かびませんしね。
しかし、じつはその起源は日本ではないのです。
もともとこんにゃく芋は日本ではなく、タイ、マレーシア、ミャンマーなどの東南アジアが原産の植物です。
それが日本に伝わってきたのは縄文時代。
農耕の文化と共に伝えられたと言われています。
日本の農作物としては、とても古い歴史があるということですね。
しかし当時は食用としてではなく、医薬用として用いられていたようです。
そして更に長い年月を経て、現在のような形に。
詳しくは次で見ていきましょう。
日本におけるこんにゃくの歴史
奈良時代~平安時代
主に医薬用として用いられていた蒟蒻が食用とされるようになったのは、奈良時代~平安時代ごろ。
中国で精進料理の材料として使われていたものが、仏教の伝来とともに伝えられたと言われています。
こんにゃく芋を灰汁(食べ物から出る「アク」ではなく、灰を水に溶かしてろ過したものです。)で煮て食べることで、エグみが抜け凝固。
これが現在のこんにゃくの原型ですね。
鎌倉時代~
それまではまだまだ、貴族や僧侶の間でのみ食べられていたこんにゃくですが、鎌倉時代になると次第に一般人へも広まっていきます。
これは仏教の教え自体が、一般の人々の生活へ深く根を下ろし始めたことに関連すると言われています。
こんにゃくを専門に取り扱う組織、「こんにゃく座」まで創られたんだとか。
室町時代~
この時代になると、現在の「おでん」のようなものが路上で売られたりするようになります。
多くの人にとってこんにゃくはより身近な存在となり、日々の食事やおやつなどとして食べられるようになったのです。
江戸時代~
江戸時代には、こんにゃく芋を乾燥した粉から、こんにゃくを作る技術が開発されます。
それまでは生芋を使っていたので、原材料の保存や遠方輸送が難しかったのですが、粉にすることでそのどちらも可能にした画期的な技術です。
また、生芋を使うとどうしても皮などが入って黒っぽくなってしまうのですが、粉から作るようになったことで真っ白なこんにゃくを作れるようになりました。
(現在では粉から作っているものがほとんどですが、あえてヒジキなどを使って黒色を付けているそうです。)
明治時代~現在
じつはこんにゃくは誰でも自由に製造できていたわけではなく、明治以前は水戸藩(現在の茨城県)の専売品だったのです。
しかし明治時代に入り解禁され、誰でも自由にこんにゃくを作り、販売できるようになりました。
現在ではこんにゃく芋のほとんどが群馬県で生産されています。
かつては水戸の専売品だったのに、完全にお株を奪っちゃいましたね。
群馬の土質や気候が、こんにゃく芋の栽培にとても適していたのでしょう。
また、板こんにゃくの他にもしらたきや刺身で食べられるものなど、その形態や食感なども多様化しています。
こんにゃくの起源についてのまとめ
低カロリーなダイエット食品として、海外からも注目を集めているこんにゃく。
麺類やスイーツにも使われており、まだまだ未知の可能性をたくさん秘めている食材です。
今後さらにどんな進化を遂げていくのか、とても楽しみですね。
(ライター もんぷち)