秋、お彼岸のころになると田んぼのあぜ道などで、真っ赤に咲き誇る彼岸花を見かけます。
秋晴れの空の青さと彼岸花の赤のコントラストは見事です。
みなさんはこの彼岸花にどのような印象をお持ちでしょうか。
さて、長い間小学校の教科書に採用されていたのでご存知の方も多いと思いますが、「ごんぎつね」というお話のなかに彼岸花がでてきます。
彼岸花とはどのような花か、また「ごんぎつね」のなかではどのように扱われているのかをちょっとみてみましょう。
彼岸花とはどんな花?
彼岸花は、秋のお彼岸の時期、秋分の日の前後1週間に一斉に咲き誇ります。
そのため彼岸花という名前がついたのでしょう。
学名はリコリス、日本では、曼珠沙華(マンジュシャゲ・マンジュシャカ)という名前で呼ばれることも多いですね。
原産地は、日本、中国で、秋に花が咲き終わった後に葉っぱが伸び、春には枯れてしまうという通常の草花とは逆の生態をもっています。
彼岸花の原種の花色は赤ですが、お花屋さんに並ぶリコリスの種類は多く、品種改良が進んだこともあり、白、ピンク、黄色、オレンジなど多様な色の花が販売されています。
また花の咲く時期も原種は9月のお彼岸の時期に限られますが、初夏や10月ごろに咲く種類も見られます。
球根から育ち、耐寒性が強いので初心者でも育てやすい花です。
彼岸花は不吉な花?
色とりどりに咲くリコリスは、ヨーロッパなどでは人気が高いのですが、日本では、美しく妖艶な魅力をもつ花ではあるけれども、どこか不気味で不吉な花であるとされてきました。
彼岸花を家に持ち帰ると火事になる、彼岸花を摘むと死人がでる、彼岸花にさわると手が腐る、などという迷信も残っているようです。
なぜ、日本人は彼岸花に対してこのような否定的な感性をもつようになったのでしょうか。
お彼岸の時期に咲くから
彼岸花はお墓の近くにもよく植えられており、お墓参りをする彼岸の時期にのみ咲くというところから、不気味な花ととらえられたのでしょう。彼岸花は、「死人花」「幽霊花」などという別名ももっています。
炎のような花の形状から:彼岸花の赤い花は炎を連想させるような色と形状をしています。
彼岸花の別名に「地獄花」がありますが、地獄の炎と結びついたからとも思われます。
球根に毒があるから
彼岸花は、古くから球根に毒がある植物として知られており、恐れられてきました。
彼岸花を植えることで球根の毒をきらう土中の動物から土葬した遺体を守るためにお墓の近くに植えられたといいます。
けれども、彼岸花の球根の毒は水でさらせば抜くことができ、食料にすることもできるので、飢饉のときの非常食にするために田んぼの脇などに多く植えられたとのことです。
奇妙な生態から
彼岸花の別名に「葉見ず花見ず」がありますが、彼岸花は、花が咲いたあとに葉っぱが伸び、葉と花を一緒に見ることができないところに由来します。
通常の草花とは逆の奇妙な生態に恐ろしさを感じたのでしょう。
「ごんぎつね」とは?
彼岸花とはどんな花かがわかったところで、次は、「ごんぎつね」はどんなお話だったか見ていきましょう。
「ごんぎつね」は、1932年(昭和7年)鈴木三重吉や北原白秋主催の『赤い鳥』に掲載された新美南吉の作品です。
児童向けの短い物語なのでWEB上で簡単に検索して読むことができます。忘れた方は検索してみてください。
ひとりぼっちの子ぎつねのごんは、いたずら好き。ある日兵十が病気の母親のために川でつかまえたうなぎを盗んでしまいます。
ところがその後母親はなくなりひとりぼっちになって気落ちする兵十を見てごんは反省。
償いのためにくりや松たけを兵十の家に届けます。
しかし、そうとは知らない兵十はごんがまたいたずらをしにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまいます。
そこではじめて兵十は、くりや松たけを届けてくれていたのはごんだったということに気づくというお話です。
「ごんぎつね」に登場する「彼岸花」
「ごんぎつね」のどこに「彼岸花」がでてくるかをご紹介しましょう。
ごんが兵十のうなぎにいたずらをして十日ほどたったのち、ごんは兵十の家の前に葬式の格好をした人々が集まっているのを見かけます。
兵十の家のだれが死んだのかとごんは村の墓地に行き六地蔵のかげに隠れて見ていました。
「いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根がわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさき続いていました。」
カーン、カーンという鐘が響き葬列が通り過ぎ墓地へ入っていきます。
「人々が通った後には、ひがん花が、ふみ折られていました。」
そこでごんは、死んだのは兵十の母親で、兵十が川でうなぎをとっていたのは死にかけている母親のためだったということに気づき自分のいたずらを後悔します。
「ごんぎつね」の「彼岸花」が意味することは?
秋晴れのいいお天気の日、墓地に咲く赤い裂のように咲き続いている彼岸花。
貧しい村の葬式の日のうらさびしい墓地、そこに美しく妖しく咲き誇っている赤い彼岸花の赤に、ものがなしいなかにも一点の明るさが見えないでしょうか。
けれど、その彼岸花も葬列の人々によって無残にもふみ折られてしまいます。
彼岸花は、日本人にとって魅力的でもあり不気味でもあり、なんともいえない花ですが、さらに、それがふみ倒されるということで、不吉な予感がしてきませんか。
火縄銃に撃たれてしまうごんの悲劇を予告するようにも思えます。
彼岸花の赤は、ごんの流した血の色とも。
彼岸花を観賞しに行こう!
彼岸花の花言葉は、「情熱、独立、再開、あきらめ、かなしい思い出、思うはあなた一人」などです。
昔、山口百恵が『曼珠沙華』という曲で、「マンジュシャカ」と歌っていたのが記憶に残っていますが、その曲のイメージにぴったりな気がします。
さて、彼岸花の群生で有名な場所として、埼玉県日高市「ひだか巾着田」があります。
清流「高麗川」のほとり、雑木林の中に咲き乱れる500万本の赤い曼珠沙華は、一種独特な空間を創り出しています。
また、「ごんぎつね」の作者、新美南吉の出生地、愛知県半田市岩滑地区の矢勝川の堤でも東西2kmにわたって300万本もの彼岸花が咲き誇ります。
毎年「ごんの秋まつり」なども開催されています。
まとめ
日本では不吉な花と思われてきたせいか赤い彼岸花が流通することはほとんどないのですが、色とりどりのリコリスを楽しむことはできるようになりました。
彼岸花に対する私たち日本人の独特の感性や彼岸花のかなしい宿命を、彼岸花を見かけるたびに思い出していきたいと思いました。
(ライター sensyu-k)