かぼすとすだちはよく似ています。
どちらもミカン科の香酸柑橘類の一種で、常緑樹です。
果実の大きさはすだちの方がやや小さめ。
果実は青いまま収穫されます。
かぼすについて
かぼすは大分県の特産品になっています。
爽やかな酸味と、果汁にクエン酸を多く含むのが特長です。
最近では果実を貯蔵できるようになり、一年中見かけます。
ハウスものの旬は3月から8月、その後露地栽培のものが出回ります。
どちらかというと関西でよく見かける気がしますね。
すだちについて
すだちは、ゆず栽培の際に偶発的に発生したのではないかといわれています。
漢字では「酸橘」と書いてすだち、と読みます。
昔から徳島県が生産地として知られています。
他、佐賀県や高知県などでもスダチは栽培されています。
旬は8,9月頃ですが、こちらも貯蔵が可能になっている為、一年を通して見かけるようになりました。
すだちの実は約40g、かぼすの実は140gほどと、大分違います。
かぼすとすだちは、このように果実の外見から見分ける事もできますが、成り立ちにもやや違いがあるようです。
橘について
果樹には原木というものが存在します。
その果樹のもとになる木の事です。
ミカン科の果樹のもととなる木として「橘」というものがあります。
日本原種の柑橘類(ミカン)の木といわれています。
辞書ですだちを引くと橘の一種でゆずより小さい、と書かれています。
そこでまた辞書で橘を引くとコウジミカンの古名、と書かれています。
コウジミカンは日本の小ぶりなみかんの事です。
橘の季語は秋。
橘は九州、四国、沖縄など温暖な地域に自生し、初夏に白い小さな花をつけます。
果実は生食には向かなかったものの、昔の人々は橘の木を愛でていた様子がうかがえます。
万葉集と橘、日本人との関わりなど
「橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常緑(とこは)の木」万葉巻6・1009
「橘は花にも実にも見つれどもいや時(とき)じくになほし見がほし」万葉集巻18・4112 家持
「この橘を時じくのかくのこのみと名付けけらしも」万葉集巻18・4111
などと万葉集には「橘」を詠んだ歌が幾つかあります。
二首目の「時じくに」とは「いつまでも」の意。橘の実が冬から夏まで枝についているさまをあらわした言葉だそう。
三首目の「時じくの香の木の実」というのも連語で「橘」を意味します。橘の木は一年中葉を実をつけていたことから、人々はその様子に個人的な心情や思うところを託したものと思われます。橘というのは時間の観念や永続性のようなものと結びついていたのかも知れません。
また「常盤(ときわ)なすかくしもがもと思へども、世のことなれば留みかねつも」万葉集巻5・805という一首もあります。
山上憶良の歌です。山上憶良というと「鼻ビシビシに」で農民のわわけさがれる生活を言葉で描写し人があまり見たくないところに目を向けたある意味で変わった人、という印象が強いですが、この歌は表現方法を異にしていますね。
常盤は(大きな岩のように)永久不変なこと、樹の葉がいつも緑である事、常緑という意味です。
万葉集の特色は、編纂当時の独特な言葉遣いがみられる事です。平安時代になると、もっと当世風というか雅な感じがぐいぐい出てきます。
万葉集はいろいろな身分の人たちの歌が入っており、彩り豊かであるところが面白いですね。
かぼすとすだち
香りを楽しむ果実は贅沢でもあります。
が、やっぱりフレッシュなものは美味しいですよね。
大分県ではお味噌汁にかぼす果汁を絞るとか。
これまた美味しそうです。
すだちくん、という実に分かりやすいネーミングのゆるキャラもいます。
更にカボたん、というのもいます。
すだちくんとよく似ていますが、服装が違います。
赤いマントをしているのがすだちくんで、何も着用していないのがカボたんです。
しかしすだちくんは趣味がコスチュームプレイであり、イベントなどで燕尾服に着替える事もあるようです。
参考:『例解古語辞典 第三版 ポケット版』三省堂/1992
(ライター:おもち)