体が大きく四肢をもちウロコでおおわれた皮膚に翼をそなえている生き物といったら何でしょう?恐らく龍を想像するのではないでしょうか。
もしかして龍はここ数万年くらいの間見かけないだけで、かつては実在した生き物だったのでしょうか。
北半球の龍、南半球の龍
龍がどこから生まれたのかを明らかにする事は簡単ではありません。
北半球の欧州、中国大陸を含むユーラシア大陸、北欧の神話にもドラゴンは出てきます。
物語内容に差こそあれ、共通するのは龍が強いものである事です。それも並外れた強さです。
弱い龍はそんなに存在しません。龍の強さは圧倒的でなければならず、それが龍の役割であり義務でもあります。
そうする事で龍を倒す数々の物語や伝承に説得力がうまれるからです。龍は様々な伝承の中に存在する生物でありながら、ときに実在する生物よりも存在感を示します。
南半球には龍が出てくる事が少ない気がしますが、そうでもありません。
オーストラリア大陸の先住民であるアボリジニの伝承に、虹蛇という生物が出てきます。
アボリジニは文字を必要としないため、虹蛇に関する物語ははっきりしたものではありません。
アボリジニにとって文化は記録する事よりもそれを受け継ぐ事に主眼が置かれているようです。
「蛇」と「龍」はよく似ています。龍の原型は蛇なのでしょうか。
西洋の龍は一般にdoragonですが、語源は蛇を意味するラテン語ともいわれます。
中国の龍
龍といえばやっぱり中国ですね。古代の中国の皇帝は天子とされていました。
紀元前2000年頃に栄えたとされる夏王朝では、空からオスとメスの龍が降りてきたという言い伝えがあり、中国には古くから龍使いのような家系が存在したといわれます。
空から降りてくるものなので、翼があり、飼いならす事ができた生物なのでしょうか。
残念ながら龍の化石など実在を示す証拠はいまだ見つかっていません。時折、もしかして龍の化石では?!
などと盛り上がりますが、多くの場合、翼竜とされる骨の一部です。また「龍」という漢字についてですが、これは象形文字とされます。
これもまた不思議な事です。象形文字とは、そのものの姿を象った文字の事だからです。
「龍」のつくりは、かざりがあり、大きな口を開いた頭部をもたげ長い体をくねらせている様子を表しているそうです。
日本の龍の特徴
日本の神話にはしばしば「大蛇」が登場します。
八岐大蛇は8つの頭に8つの尾をもつとされます。
大きな蛇というよりもはや化け物です。中国の龍とはだいぶ違っているように思われます。
日本に龍という生物が入ってきたのはいつなのか、それとももともとあった「大蛇」が一緒になってオリジナルの龍が生まれたのかは定かではありません。
日本における龍は農耕と結びついている一面があります。
雨水がなければ作物は育たず国は栄えません。空を飛ぶ龍は雨を降らし、田畑を潤すものとして信仰の対象となりました。
龍は絵画にも登場するようになります。
17世紀頃初めの屏風絵に「雲竜図屏風」という海北友松(1533~1608)の作品があります。
海北友松は武士の家系です。「雲竜図屏風」に描かれているのは荒々しい龍です。
2017年には大規模な展示が開かれたようですから、目にした方もいるでしょう。
この人物はとりわけ龍というモティーフを好んだようです。もう少し前にも龍の図は存在したようですが、海北友松の龍は強烈です。
時代は下って円山応挙の描く龍は、洗練された龍です。
近年円山応挙の作とされた作品に「東朔龍虎図」という、仙人と虎と龍が描かれたものがあります。
中国では虎と龍は両雄争うたとえにも使われ、「龍行虎歩」とは龍や虎の様に歩く事を表し、威厳のある歩き方の形容を意味します。
虎は実在しますが、龍は実在しません。ここでは虎と龍は一緒に存在しています。現実とフィクションが融合しているかのようです。
そこへくると日本の龍はわりと現実的であり、農民の暮らしと結びついてきたように考えられます。
しかし神格化された龍は、民にとって畏れるものでもあったようです。
このような状態は日本における龍という生物の受け入れられ方、扱われ方を如実に表しているようにも思えます。
龍とフィクション
龍は民話や伝承のみならず、フィクションの分野でも大活躍です。
近いところではカズオ・イシグロ著『忘れられた巨人たち』があります。
鬼と龍が出てくる物語です。出てくる龍は雌です。
幻想的な設定をとっていながら生々しく、これから起こりうる物語としても読む事ができます。
龍の実在性
これほど長い間、人類が龍の存在に飽きないのは何故でしょう。
それは龍が想像上の生物だからでしょうね。実在しないからこそ龍は受け入れられ、人間の持つ羨望や畏れ、こうであってほしいという願望を引き受けるある種の装置として機能しているようです。
そういう意味では龍とはある必然性をもって生み出され具現化された概念として実在し、現代でも人間の想像力の中で存在していると言えるのかも知れません。
※参考『日本美術の歴史』辻惟雄著2005/東京大学出版会
(ライター:おもち)