土蜘蛛という妖怪を聞いたことがありますか?

かつて日本に実在していたという土蜘蛛とは一体なんなのでしょう?

土蜘蛛の特徴

土蜘蛛は物語や選挙区などに取り上げられることが多い妖怪です。

山蜘蛛や土蜘蛛などと呼ばれることもあり、日本を魔界にしようとする存在や源頼光に対抗する蜘蛛の妖怪として定着しています。

 

平家物語では山蜘蛛と表記されて源氏の家系に伝来します。

源氏の家系に伝来する蜘蛛切りという刀にまつわる物語として登場していて、このはなしが能の五番目物の土蜘蛛などにも取り入れられて妖怪としての土蜘蛛が広く知られるようになりました。

 

源頼光がマラリアを患って床についていたところ身長2.1mの怪僧が表れて縄を半たち、頼光を絡めとろうとしました。

頼光が病床にも関わらず名刀で斬りつけると僧は逃げ去りました。

 

翌日、頼光が四天王を率いて僧の血痕を追うと、北野神社裏手の塚にたどり着き、そこには全長1.2mの巨大な山蜘蛛がいました。頼光たちはこれを捕らえ、鉄くしに刺して川原に晒しました。そうすると頼光の病気はその後すぐに快復し、土蜘蛛を討った膝丸は以来蜘蛛切りと呼ばれました。

 

また、土蜘蛛草子というお話は源頼光が背天皇渡辺鋼を連れて、遊びに行く途中、空飛ぶどくろに遭遇し、これを追跡したところ、一見の古びた屋敷にたどり着きました。そこからは無数の妖怪たちが出現し、頼光たちを襲撃してきて、辺りは一大決戦の場となりました、明け方、頼光にたいして目くらませのために現れた女の妖怪たちに一刀浴びせるとたちまち妖怪たちは姿を消し、女の妖怪もいなくなってしまいました。

 

しかし、白い血が地面に落ちていたのでこれをたどると今度は大きな洞穴に行き当たり、その洞穴の中にいたのがクモの化け物で、頼光たちを苦しめた元凶で下。頼光たちは決死の激闘のすえ土蜘蛛の頸を切り、勝利します。

 

土蜘蛛を解体すると腹から無数の子蜘蛛が表れ、それをかき分けていくと頼光たちが最初に見かけた空飛ぶどくろが出てきたということです。

他にも頼光伝説を由来とした土蜘蛛の痕跡は京都の名所にも存在しています。

 

京都市北区にある上品蓮台寺にある源頼光朝巨野塚では土蜘蛛の掬っていた塚としてその近くに植えられた木を切ろうとしたものが病死したという言い伝えもあります。

また、他の土蜘蛛の塚でも灯篭をもらい受けた人の家はたちまち傾いてしまったなどともいわれています。

奈良県にまつわる土蜘蛛伝説

奈良県御所市にある葛城一言主神社は願いごとを一言できいていくれる神様として地元ではあつく敬われているところです。

境内には妖怪扱いされる以前の土蜘蛛()が眠る塚等が沢山あります。

 

奈良に土蜘蛛の妖怪伝説があるのもこのことにちなんでいると考えられます。

御所市の高天彦神社前の並木の東側に千本の足を持っている土蜘蛛のいる窟がありました。

 

時の天皇の勅使が矢を射て殺しましたが、その土蜘蛛は高天神社の傍らに埋め、そこを蜘蛛塚というようになりました。

もう一つ、奈良県の郡山市の土蜘蛛は毒を持つ大きな牙をがちがちと鳴らして、真っ赤な舌をぺろぺろ出し、銀色の太い糸をパッと吹きかけるのだそうです。

土蜘蛛のモデル

土蜘蛛のモデルとなっているのは桓武天皇の時代、大和地方にいた先住民で桓武店に逆らってなかなかいうことを聞かなかった人たちのことでした。

その時代、皇室に従属しない豪族や一門は各地に存在し、その人たちのことをまとめて土蜘蛛と呼んでいたと考えられています。

桓武天皇は彼らを討伐後、怨霊として復活しないように五体をばらばらにして封印しました。それが先ほど書いた葛城一言主神社の土蜘蛛塚です。

(ライター ナオ)