春の桜とともに、秋の菊は日本人にとって古くから特別な存在である花ですよね。

皇室の御紋章や国会議員のバッチにもなっています。

 

菊は秋の花というイメージが強いのですが、お花屋さんには一年中、色とりどりの菊が売られています。

菊とはどんな花、菊の咲く季節とはいつなのかについて調べてみましょう。

菊とは?

菊の原産地は中国といわれ、北半球各地で見られます。

「キク」という名前は、1年の最後に咲くことから、「行き詰まる」という意味の「極まる」に由来し、また漢字の「菊」は、手の平にお米をおいて握ったようすから発生したといわれています。

中国では、2000年以上前から薬用、食用として重宝されていました。

日本へは平安時代に伝わり、暑さ寒さに強く日本の気候にあうので多く栽培されるようになり、さらに品種改良が進み人々に愛でられるようになりました。

海外へは、幕末日本からイギリス人が日本のさまざまな品種を持ち帰ったことで流行するようになったとのことです。

菊の花言葉

菊の花言葉は、「高貴、清浄、高潔、高尚」などで、皇室が紋章にしたところから発生したものが多いようです。

さらに色ごとに異なる花言葉をもっています。

  • 黄色~長寿と幸福、わずかな愛、やぶれた恋
  • 白~誠実、真実
  • 赤~あなたを愛しています。

菊の種類

花色、花の咲き方、花びらの形、背丈、咲く季節など、多種多様な菊が出回っています。

花の大きさから、大菊、中菊、小菊と分けられます。

 

さらに、大菊のなかには、花びらが中心に向かってこんもりと盛り上がっている「厚物」、花びらが管状になって放射状にのびている「管物」、菊の御紋のように平たい花びらが一重で並んでいる「広物」などに分類されます。

 

さらに和菊、洋菊という分類の仕方もあります。

和菊のなかには、江戸時代に作り出された嵯峨菊、伊勢菊、美濃菊などの「古典菊」があります。

 

洋菊としては、1本の茎に複数の花を咲かせるスプレーマムがおなじみです。

ポットマムは、鉢植え用に背丈が大きくならないように改良されたものです。

 

また食用菊として、山形県で、「もってのほか」と呼ばれている紫色で八重咲き中輪の「延命菊」があります。

「もってのほか」という名前の由来は、「天皇の御紋である菊の花を食べるとはもってのほか」だからとも、「もってのほか(思っていたよりもずっと)おいしい」からともいわれています。

菊はどの季節の季語?

10~11月になると、日本各地で菊の品評会、菊人形まつりなどのイベントが開催されるので、菊とは秋を代表する花というイメージです。

俳句の季語としても秋に分類されます。

 

旧暦9月9日(新暦では10月下旬)は菊の節句と呼ばれています。

前日の夜に真綿を菊の花にかぶせておき、当日の朝、菊の香と露で湿った綿で身体を拭うと邪気が払われ延寿の効果が期待できるという伝えがあります。

ただ菊には、6~7月に咲く夏菊、10月下旬~11月に花がさく秋菊、12月~1月に咲く寒菊があり、必ずしも秋の花とはいえない面もありますね。

菊と夏目漱石

菊は平安時代以降、数々の文学作品に登場するのですが、そのなかから夏目漱石と菊とのかかわりにちょっと触れてみます。

皇室の御紋章にもなっている菊ですが、地下鉄東西線早稲田駅近くの夏目坂にある漱石の生家の家紋にも菊が使われているんです。

以下の引用中にでてくる喜久井町という町名は現在も残っています。

 

自伝的エッセイ『硝子戸の中』の一説:

「私の家の定紋(じょうもん)が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いた」

漱石を師と仰ぐ芥川龍之介は、白菊の咲く季節に行われた漱石一周忌のときに、次のような句を詠んでいます。

 

「人去つて むなしき菊や 白き咲く」

漱石の弟子で恋愛の対象であったともされ、才色兼備であったという大塚楠緒子が35歳の若さでなくなったときに、漱石は次のような句を楠緒子の霊に捧げています。

「有る程の 菊抛げ入れよ 棺の中」

電照菊とは?

愛知県渥美半島付近を夜間に通ると、明るく光るビニールハウス群を目にします。

そこで栽培されているのは「電照菊」です。

 

菊は、日が短くなると花芽をつける性質をもつ短日性植物です。

花芽が形成される前に人工的に光を当てて花芽の形成と開花時期を遅らせているのです。

この日照時間のコントロールで、数ヶ月花の時期を遅らせることができるそうです。

菊の季節とは?

電照菊のように栽培技術が進み、菊はほとんど一年中栽培され流通しています。

もともとは秋の花であった菊を、現代の私たちは一年中、切り花として楽しんだりお墓に供えたりすることができるのです。

まとめ

菊は昔から日本人とのかかわりが深かったのですが、不思議と奈良時代の文学にはほとんどでてきません。

平安時代になって大陸から渡ってきて普及したからです。

それにもかかわらず皇室の御紋になったりしたのは、菊の薬草としての効用のみならず、その高貴で高潔な姿が人々を魅了してきたからといえるでしょう。

(ライター sensyu-k)